愛媛県松山市に鎮座します東雲神社(しののめじんじゃ)は松山城に隣接しており、ちょうど松山城ロープウェイリフトのりばから見える位置に神社があるのでロープウェイを乗った事がある方なら、ご存知の神社となっています。
この神社は神と藩祖をご祭神として祀る神社で多数の祭神を祀っている事もあり、所願成就・商売繁盛・五穀豊穣・学業成就など多種のご利益を授かれる神社となっています。
それでは東雲神社を見ていきましょう。
- 神社名:東雲神社(しののめじんじゃ)
- ご祭神:天照皇大神・豊受大神・天穂日命・菅原道真他4柱
- ご利益:所願成就・商売繁盛・五穀豊穣・学業成就
- 旧社格:県社
- 住所:愛媛県松山市丸之内73-1(Googleマップ)
- 駐車場:駐車場あり
- アクセス:伊予鉄環状線「警察署前駅」下車徒歩5分
東雲神社の境内まで階段との戦い!
松山城の東に鎮座します東雲神社。階段しか目がいかないほどの階段。
社殿までの階段数は200段!!
注連柱ポイント!
神門を超えると最後の難関、結構急な階段です。一気に突き進みましょう。
境内に辿り着くと満足感あふれる社殿が待っています。
松山藩が創建した東雲神社の歴史
文政6年(1823年)伊予松山藩の11代藩主、松平定通(まつだいらさだみち)が松山城の揚木戸(あげきど)に仮営を営み、藩祖であります久松定勝(ひさまつさだかつ)の神霊を招請し、息長福玉命と称えて祀ったのがはじまりです。
その後、天保11年(1840年)に12代藩主の勝善(かつよし)の代に松山城山長者ヶ丘に社殿を造営し、東雲大明神と呼び、一藩崇敬の神社としました。
菅原道真は久松家の祖先神で天穂日命は菅原氏の祖神と言われています。
明治13年(1880年)に東雲神社と改称し、県社に列しました。
昭和20年(1945年)7月の松山空襲で社殿などの数多くの建物が焼失し、昭和46年(1971年)伊勢神宮の分社、松山大神宮を奉還し、昭和48年(1973年)に神明造りの社殿が完成、松山大神宮と東雲神社の神霊が合祀奉斎されました。
神と藩祖をご祭神として祀る本殿
- 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
☞最高神。伊勢神宮のご祭神
- 豊受大神(とようけのおおかみ)
☞日本神話に登場する女神で、伊勢神宮外宮のご祭神
- 天穂日命(あめのほひのみこと)
☞日本神話に登場する男神で、天照大神の第二子。久松松平家の家祖神。
- 菅原道真(すがわらのみちざね)
☞学問の神様。久松松平家の家祖
- 息長福玉命(おきなかさきたまのみこと)
☞東雲大明神。藩祖松平定勝。
- 奇足玉命(くしたるたまのみこと)
☞伊予松山藩11代藩主で創建の主、松平定通。
- 真都栄命(まつさきのみこと)
☞伊予松山藩16代藩主、松平定昭
- 稚国玉命(わかくにだまのみこと)
☞松平定勝の嫡男(ちゃくなん)松平定吉
東雲神社のご利益と伊勢神宮と同じ造りの社殿
- 所願成就
- 商売繁盛
- 五穀豊穣
- 学業成就
などご利益は豊富にあります。
伊勢神宮と同じ造りである神明造り。東雲神社は別名「松山大神宮」とも言います。
摂社末社が無く、社殿のみが境内にドンと佇む姿が良いですね。
プレミア感満載の御朱印
社務所には貼り紙があり「御朱印は正月3ヶ日して致しておりません」との事。なんともプレミア感満載の御朱印。
365日分の3日しか頂けない御朱印って気になりますね。
天然記念物のナンジャモンジャの木
神門から松山城に向かう脇道の手前に松山市指定の天然記念物「ナンジャモンジャの木」が二本あります。
1本が高さ12m、もう1本が高さ9mで5月には白雪のような見事な花をつけます。
名前の「ナンジャモンジャ」は名前がわからないので、「なんていうもんじゃ…」と尋ねたことからナンジャモンジャの木と呼ばれるようになったと言われています。
松山城に通じるロープウェイ
東雲神社の隣には松山城ロープウェイがあり、一気に松山城付近まで行けます。
東雲神社の脇をウォーキングしながら松山城にも行けます。朝はランニングやウォーキングをしている方が多かったです。
東雲神社のアクセス
- 神社名:東雲神社(しののめじんじゃ)
- 住所:愛媛県松山市丸之内73-1(Googleマップ)
- 駐車場:駐車場あり
- アクセス:伊予鉄環状線「警察署前駅」下車徒歩5分