京都市上京区に鎮座します「上御霊神社」(かみごりょうじんじゃ)は応仁の乱発端の地としても知られています。
応仁の乱とは室町時代の応仁元年(1467年)から文明9年(1478年)までの約11年間に渡って継続した内乱です。
京都全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した主となる場所でご祭神は不運で亡くなった八柱を神様としてお祀りしているので、更に恐ろしく感じますがこの上御霊神社のご利益は「心を鎮める」という精神に投げかける大変必要な神社です。
それでは正式名称は「御霊神社」であり、下御霊神社との対応で「上」が付けられた上御霊神社を見ていきましょう。
- 神社名:上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)
- ご祭神:崇道天皇・他戸親王・井上皇后・火雷神・藤原大夫神・文大夫・橘大夫・吉備大臣
- ご利益:厄除け・心鎮め・家内安全・家業繁栄・安産・学業成就・書道上達
- 応仁の乱発祥の地
- 松尾芭蕉碑
- 住所:京都府京都市上京区烏丸東入上御霊堅町495番地(Googleマップ)
- 駐車場:境内無料駐車場あり
- 営業時間:9:00~17:00
- アクセス:地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」下車 徒歩3分
- 【京都神社アクセスマップ】見ればわかる最強便利ツール(画像付)
応仁の乱発端の地「上御霊神社」の歴史
創建は貞観5年(863年)で御霊会(ごりょうえ)で慰霊された『崇道天皇』『伊予親王』『藤原夫人』『観察使』『橘逸勢』『文屋宮田麿』の六所御霊を祀ったのが、上御霊神社及び下御霊神社の創始とされていますが、そもそもは桓武天皇(かんむてんのう)の時代に実弟である早良親王を無実の罪で憤死まで追いやった事により、疫病が流行り延暦13年(794年)に早良親王(崇道天皇)を御霊のこの地に祀ったのがはじまりとされています。
※早良親王(崇道天皇)を単一でご祭神としてお祀りする神社
その後、『伊予親王』『観察使』が『井上大皇后』『他戸親王』に変わり『火雷神』『吉備大臣』が追加されました。
文正2年(1467年)には失脚した畠山政長(はたけやままさなが)が上御霊神社の境内に布陣し、畠山義就(はたけやまよしなり)が攻め「御霊合戦」が行われました。
この戦いから応仁の乱に発展した事から、「応仁の乱発端の地」とされています。
現在のご祭神は本殿八座の「八所御霊」で相殿に五柱が祀られています。
本殿八座
- 崇道天皇(すどうてんのう)
- 他戸親王(おさべしんのう)
- 井上皇后(いのえのおおひきさき)
- 火雷神(からいしん)
- 藤原大夫神(ふじわらのたいふじん)
- 文大夫(ぶんのたいぶ)
- 橘大夫(たちばなのたいぶ)
- 吉備大臣(きびのおとと)
相殿五座
- 小倉実起(おぐらさねおき)
- 小倉公連
- 中納言典待局
- 小倉季判
- 菅原和子
- 心鎮め
- 厄除け
- 家内安全
- 家業繁栄
- 安産
- 学業成就
- 書道上達
お守り・絵馬・御朱印(授与所)
楼門をくぐると左手に授与所があります。ここでお守り・絵馬・御朱印などの購入ができます。
松尾芭蕉句碑
境内右手に松尾芭蕉句碑があります。石碑は慶応元年に建立しました。
上御霊神社の境内社(摂社末社)
八幡宮
八幡宮のご祭神は八幡神になります。交通安全・健康・所願成就のご利益があります。
長宮三十社
本殿左手にずらっと鎮座しています三十社。三十社をまとめて祀っているのはすごいですね。
厳島社
厳島神社のご祭神は宗像三女神(むなかたさんじょしん)で、芸能上達のご利益があります。
神明神社
神明神社(しんめいじんじゃ)のご祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)で国家安泰・開運・勝運のご利益があります。
福寿稲荷神社
朱鳥居が並んでいます福寿稲荷神社のご祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)で商売繁盛・五穀豊穣のご利益があります。
清明心像
境内右手の駐車場横に清明心(きよきあかきこころ)の像があります。
京都十六社朱印めぐり
京都十六社朱印めぐりとは古都の町中に点在する十六の古社を訪ねる旅です。
十六社には様々なご利益があり「厄除け」「安産」から「病気平癒」「商売繁盛」「出世開運」まで多彩です。女性の方であれば「縁結び」「子授け」や受験生なら「学業成就」「合格祈願」があり、競馬ファンにも嬉しい「勝運・馬守護」の神社もあります。
すべて参拝するとその年の干支の置物が授かれます。(十六社目でもらえます)
上御霊神社のアクセス
- 神社名:上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)
- 住所:京都府京都市上京区烏丸東入上御霊堅町495番地(Googleマップ)
- 駐車場:境内無料駐車場あり
- 営業時間:9:00~17:00
- アクセス:地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」下車 徒歩3分
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