【兵庫湊川神社】楠木正成をお祀りする神戸三大神社でご利益

    湊川神社

    神戸市中央区に鎮座します「湊川神社」(みなとがわじんじゃ)はテレビ番組で有名な徳川光圀公(水戸光圀公)がご祭神である楠木正成を崇敬し、石碑を半年かけて元禄5年(1692年)に建立したところからはじまり創建まで至った神社です。

     

    湊川神社は開運厄除け、国家安泰、家内安全、健康長寿、学業成就・合格祈願など多種なご利益があり、兵庫県神戸市では生田神社・長田神社・湊川神社が神戸三大神社と呼ばれています。

     

    年間の参拝者は250万人を超える大人気神社となっています。

     

    それでは湊川神社を見ていきましょう。

    湊川神社 基本情報
    • 神社名:湊川神社(みなとがわじんじゃ)
    • ご祭神:楠木正成
    • ご利益:開運厄除け・国家安泰・家内安全・健康長寿・学業成就・合格祈願
    • 旧社格:別格官幣社(別表神社)
    湊川神社 アクセス
    • 神社名:湊川神社(みなとがわじんじゃ)
    • 住所:兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1(Googleマップ)
    • アクセス:JR神戸線「神戸駅」下車徒歩3分 阪急・阪神・山陽各電車「高速神戸駅」下車すぐ
    • 駐車場:無料駐車場約20台

     

    目次

    楠木正成をお祀りする「湊川神社」の歴史

    湊川神社は鎌倉幕府打倒に貢献した武将「楠木正成」(くすのきまさしげ)をお祀りする神社で地元では「楠公さん(なんこう)」と呼ばれています。

     

    創建は明治5年(1872年)で楠木正成を崇敬する熱烈な維新志士によって国家に楠社創建を求めるに至り、明治天皇が楠公の忠義を後世に伝えるため、神社を創建するよう命じ墓地・殉節地を含む7,232坪(現在は約7,680坪)を境内地と定めたのが湊川神社のはじまりです。

     

    湊川神社の社名は鎮座地の「湊川」に由来するもので一般的に「楠社」や「楠公社」と呼んでいたので、「湊川神社」の社名が決まるまでは「楠社」と呼ばれていました。

     

     

    ご祭神

    • 楠木正成(くすのきまさしげ※大楠公)

    配祀神

    • 楠木正行
    • 楠木正季
    • 菊池武吉命・江田高次命・伊藤義知命
    • 箕浦朝房命・岡田友治命・矢尾正春命
    • 和田正隆命・神宮寺正師命・橋本正員命
    • 冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命
    • 宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命
    • 南江正忠命 18柱

     

    ご利益

    • 開運厄除け
    • 国家安泰
    • 家内安全
    • 健康長寿
    • 学業成就・合格祈願

     

    大楠公(楠木正成)の生涯

    1. 少年時代楠木正成は永仁2年(1294年)に河内国赤坂の里でお生まれになり幼名を多聞と申されました。正しく素直な心の持ち主で学問を観心寺の滝覚坊(りゅうかくぼう)に兵学を大江時親(おおえときちか)に学ばれ文武両道に優れた若武者に成長されました。
    2. 後醍醐天皇との出会い元弘元年(1331年)鎌倉幕府の大軍が京都へ攻めてきたので、後醍醐天皇は笠置山に移されました。この時「御夢(おゆめ)」知らせにより、後醍醐天皇は大楠公を召し出され国を救うために力を尽くすように命じられました。大楠公は「私が生きている限り、天皇様の御運は必ず開けます」と自信ある言葉で答えられ、命にかけてお守りしまたお助けすることを誓いになられました。
    3. 赤坂城の戦い大楠公は笠置より河内に帰るとすぐに赤坂に城を築き兵をあげられました。これに驚いた鎌倉幕府は大軍をもって攻めてきましたが、大楠公の優れた作戦にさんざん痛めつけられました。しかし赤坂城は急遽造った城であったためやがて落城し大楠公は敵に油断させるために山奥に身を隠されました。
    4. 千早城の攻防元弘2年(1332年)金剛山の千早城に再び菊水の旗がひるがえりました。攻めてきた幕府軍はまたまた大楠公軍の奇襲作戦に遭いいくら大軍を注ぎ込んでもどうしても攻め落とすことができませんでした。そしてこのことが天下に知れ渡り諸国の天皇を守ろうとする武士が立ち上り、幕府を打ち倒す動きが大きく広がっていきました。
    5. 諸国に天皇を守る軍が大楠公の千早城でも勇気ある戦いに力を得て、関東では新田義貞(にったよしさだ)中国では赤松則村(あかまつのりむら)九州では菊池武時(きくちたけとき)がそれぞれ幕府討伐の兵を挙げました。幕府により隠岐の島へ移されておられた後醍醐天皇は、伯耆の国(ほうきのくに※現在の鳥取県)の名和長年(なわながとし)がお助けして、天皇を無事船上山(せんじょうせん)へお迎え申し上げました。
    6. 兵庫に天皇をお迎えする幕府は元弘3年(1333年)5月に新田義貞の鎌倉攻めにより北条氏がうたれて滅びました。これより少し前、後醍醐天皇は船上山から京都へお帰りになることとなりました。大楠公はその途中に兵庫(神戸市)において天皇をお迎えされます。そのとき後醍醐天皇より「このたび幕府を倒すことができたのは、みな汝の働きである」とのお褒めの言葉を賜り京都へ先導されるのでしたが、まことに晴れ晴れとした勇ましいお姿であったことがしのばれます。
    7. 足利尊氏の裏切り後醍醐天皇は自らその政治を行わせられました(建武の中興)しかしそれには不満をもつ者もあり特に足利尊氏(あしかがたかうじ)は天皇の政治を奪わんとし、諸国の不平武士等を集めて延元元年(1336年)九州から攻め上がってきました。大楠公はこの大軍を打ち破る策として「一時京都に敵を招き入れ、機を見て反撃すれば勝てる」と進言されましたが、浅はかな公卿たちの反対により、取り上げられませんでした。
    8. 桜井の別れ大楠公は天皇の命令に従い、決死の覚悟で兵庫へ向けて出陣されました。途中桜井の駅(現在の大阪府三島郡島本町)で御子の小楠公(楠木正行公)を呼び寄せられ「自分は死ぬがその後は父に代わって天皇様を最後まで助け守りつくすように」と悟され小楠公を故郷の河内へ帰されました。多くの人々に親しまれている有名な「青葉茂れる桜井の…」の唱歌はこの場面を歌ったものです。
    9. 湊川の合戦延元元年(1336年)5月25日の朝、足利尊氏・直義兄弟の率いる大軍が海陸両方から攻め上がって来ました。会下山(えげやま)に菊水の旗をひるがえして陣を張った楠木軍はわずか700騎あまりの手勢でもって奮戦し一時は敵将の直義を討ち取るかに見えた時もありましたが、多勢に無勢、兵力の差はあまりにも大きく楠木軍は次第に追い詰められて行きました。
    10. 大楠公御殉節湊川での激しい戦いは朝から夕方まで続き、さすがの楠木軍もわずか70余騎にまでとなりました。もはやこれまでと大楠公以下は湊川の北方(現在の湊川神社の護殉節地)まで落ちのび弟正季郷と「七度人間に生まれて朝敵を滅ぼそう」と互いに誓いあい兄弟刺し違えてその偉大な生涯を閉じられました。
    11. 小楠公の忠節正平2年(1347年)22歳の立派な若武者に成長された小楠公は父大楠公の教えに従い朝敵足利軍と戦い大いに痛めつけました。翌3年1月足利軍を討つため如意輪堂(にょいりんどう)の扉に「かえらじとかねて思えば梓弓…」との和歌を書き残し、四條畷へ出陣されました。そして激戦の末、父大楠公と同様勇ましい戦いを展開されたのですが、力尽きて短い一生を終えられたのでした。
    12. 徳川光圀公が墓碑を建立大楠公のお墓は長い間ひっそりと祀られていたのですが、豊臣秀吉の時代に発見されました。そのあと尼崎藩主・青山幸利(あおやまよしとし)により守られていましたが、元禄5年(1692年)地元の人々の熱意を受けられた徳川光圀公が約半年をかけて立派なお墓を建立されました。「嗚呼忠臣楠子之墓」(ああちゅうしんなんしのはか)の碑文は大楠公を大変尊敬された光圀公が自らお書きになったものです。
    13. 明治維新の志士達の参拝お墓が建てられてから大楠公のご精神は大いに世に広まり、特に幕末における勤王思想(きんのうしそう)に大きな影響を与えました。吉田松陰(よしだしょういん)真木保臣(まきやすおみ)坂本龍馬(さかもとりょうま)など多くの志士達が、このお墓にお参りし明治の新しい国づくりに貢献しました。明治5年(1872年)明治天皇の思し召し(おぼしめし)により、湊川神社が創建されいよいよ大楠公のご精神は国中に輝きわたりました。

     

    大青龍が描かれた拝殿の天井画

    拝殿でお詣りをする際に目に付くのが、大青龍が描かれた天井画です。この天井画は兵庫県を代表する「福田眉仙」によって描かれた絵で戦火の被害にあい社殿を再建する際に奉納されました。

    絵の数は全部で163点ありどれも素晴らしい絵となっています。

     

    徳川光圀公の銅像

    境内にあります時代劇でおなじみの徳川光圀(水戸黄門)の銅像があります。

     

    これは水戸光圀公がこの地を訪れ「嗚呼忠臣楠子之墓」と楠木正成の石碑を建立した功績を追慕して昭和30年に完成した銅像です。

     

    史蹟・楠木正成の墓碑(御墓所)

    水戸光圀公が建立した碑石で「嗚呼忠臣楠子之墓」(ああちゅうしんなんしのはか)と光圀公がみずから文字を書き岡村元春に刻ませました。

     

    この墓碑の建立によって正成公という人物が世に広く知り渡り、幕末思想の発展を助け明治維新への精神的指導力となったと言われています。幕末維新の坂本龍馬や西郷隆盛などもこの墓前で至誠を誓って国事に奔走しました。

     

    史蹟・楠木正成の戦没地

    境内西北隅に位置します楠木正成の戦没地です。

     

    延元元年(1336年)に楠木正成が殉節された場所です。

     

    この場所は国の指定文化財史蹟に指定されています。

     

    湊川神社の境内社(摂社・末社)

    甘南備神社(摂社)

    甘南備神社は楠木正成の夫人をご祭神としてお祀りしている神社で戦後復興の際に本殿の右側に合祀されました。

     

    楠本稲荷神社(末社)

    楠本稲荷神社のご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・猿田彦命(さるたひこのみこと)・大宮女命(おおみやめのみこと)の3柱をお祀りしています。

     

    楠本稲荷神社の社殿内裏手には建築業関係にご利益がある三十九稲荷社が鎮座しています。

     

    たまたま地元の方が参拝後に裏手に行かれたので、どこに行かれたのか気になって後ろに回ると三十九稲荷社がありました。

    これは通常では見つけれないレアな稲荷社です。

     

    菊水天満神社(末社)

    菊水天満神社のご祭神は菅原道真(すがわらのみちざね)で学業成就・合格祈願のご利益があります。

     

    湊川神社のアクセス

    • 神社名:湊川神社(みなとがわじんじゃ)
    • 住所:兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1(Googleマップ)
    • アクセス:JR神戸線「神戸駅」下車徒歩3分 阪急・阪神・山陽各電車「高速神戸駅」下車すぐ
    • 駐車場:無料駐車場約20台

     

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